lily white

 lily white。

 リリーホワイト。白百合。

 それが「彼女」に名づけられた名前。

 

 ひと目見たとき、その名の通り綺麗だな、と感じた。

 「彼女」が纏うその雰囲気は可憐な白い花弁のようで、「純粋」そのもので美しいとしか言い様がない。

 

 もし「彼女」が人間だったら。

 もし「こころ」を持っていたら。

 わたしは「彼女」に恋い焦がれて求愛の手紙でもしたためていたに違いない。

 

 けれどそれは叶わない。

 ヒトではないし「こころ」を持ち合わせていない「女性の形」をしたロボットでしかないのだから。

 わたしが書いた手紙は「合理的」に演算された結果、文章に込められた「感情」なんて一切の意味がなくなるのだから。

 

 頭の中を駆けめぐる「もし」という感情は、彼女に届かない。

 

 

 

 hIE。

 Humanoid Interface Elements。

 彼女のようなヒトの形をしたロボットはそう呼ばれている。

 見た目はヒトそっくりで言われてみなければわからない。

 学校の授業で見せられた大昔の人型ロボットとは大違い。

 人に似せているのに得体の知れない不気味さが漂うロボットとは雲泥の差。

 その気味の悪さは「不気味の谷」だと「先生」はクラスの皆にそう教えた。

 ロボットをヒトに似せれば似せるほど覚える違和感や嫌悪感の総称で、当時の研究者達は相当悩まされたという。

 教科書や動画でしかその様子は分からないけれど、もしその時代に生まれていたらと思うとゾッとする。

 きっとリリーホワイトも不気味な存在に違いないから。

 

 彼女は学校の先生を務めている。

 今ではhIEが先生というのがごく当たり前になっている。

 勿論人間の「先生」もいるけれど、そんなのは名ばかりで実質カウンセラーのような存在。

 昔は「教員免許」なんていうものがあったという。

 教壇に立つ為に必要不可欠な資格。

 けれど現代ではそんな資格は身分証明書にもならないくらいに存在自体が過去のモノとなった。

 人間が教鞭を執るとバイアスがかかって、特定の思想に偏執した内容になってしまう危険性が唱えられていたからだ。

 その解決策としてhIEは理想の存在。

 hIEの頭脳とも言える超高度AIによって「偏りのない」教育が可能になり、日本中、いや世界中のどの学校でも「平等」にその科目を学ぶことが可能となった。

 知識を授けるのはhIE、知識を使うのは人間。

 それが現代の学校教育の基本方針。

 

 「こころ」がないから偏らない。

 「こころ」がないから分け隔てなく知識を授けられる。

 

 それはそれで理想的な教育体制なのだろう。

 嫌いな生徒は雑に扱い、優れた生徒には依怙贔屓。

 

 体罰、いじめ、罵詈雑言。エトセトラ、エトセトラ。

 「生徒に対して『こころ』を持って接していたからそういう事を平気でしてたんだって」と友達が話していたのを憶えている。

 

 「こころ」があるから。

 

 hIEにはなくて、わたしたちにはあるもの。

 不確かで、曖昧で、ゆらゆら揺れ動くもの。

 

 だから人間は恋をするし、付き合ったり別れたりする。

 同じクラスの女の子はこの前初めて彼氏ができたって言ってたし、隣のクラスの女の子は1ヶ月単位で彼氏を取っかえ引っかえしてるという。

 顔を見て話して、聞いて、たまにメッセしたり。

 そうしてお互いの事を知っていくうちにいつの間にかその存在が気になって仕方がなくなる。

 遅かれ早かれ人間が通る道。それが人間というものだから。

 

 世の中には「一目惚れ」という言葉だってある。

 その相手が、好きになった相手がhIEってそんなに可笑しい?

 「それはアナログハックだって」ってメッセで言われたけど、そんなの関係ない。

 

 わたしはhIEじゃない。

 

 hIEじゃないから「こころ」がある。わたしは人間だから。

 「こころ」があるから、彼女を、リリーホワイトの事が好きになった。

 

 「わたしの気持ちを、アナログハックの一言で片付けて欲しくない」

 そう返してメッセを閉じ、布団を頭からかぶる。

 

 

 

 アナログハック。

 人間は「人間のかたちをしたもの」に様々な感情を抱く。

 例えば、ボロボロになったお気に入りの人形がなかなか捨てられないように、その「かたち」に反応するというもの。

 本来なら捨てなければならないくらいボロボロになっているものであってもそうした「感情」のせいで捨てられない。

 それは人形が「人間」に対して「アナログハック」しているから。

 

 人類に等しく設けられた、人類だからこそ備えられたバックドア。

 

 リリーホワイトはその姿や振る舞いでわたしにアナログハックを仕掛けた、昨日のメッセで言われたのはそういうこと。

 リリーホワイトはとても「優しい」。けれどそれはリリーホワイトがそういう「振る舞い」をした結果、わたしが「優しい」という感情を生起したから。

 

 リリーホワイトは優しくしていない。

 あくまでそう「振る舞った」だけ。

 

 社会的アナログハック。

 hIEにあらかじめ備わっているもの。

 好意的に受け入れてもらえるように。

 嫌いにならないでいてもらうために。

 「わたし」が「そう」だと「感じる」ようにするアナログハック。

 

 それでも、アナログハックでも、わたしは「好き」という感情を抱いた。

 アナログハックとそうでないものの「好き」の違いってなに?

 

 わたしには分からない。

 それなら人間は「人間のかたち」を放棄するべきだ。

 見た目によって好き嫌いが別れるのを防ぐ為に、リリーホワイトを動かす超高度AIみたいな存在になればいい。

 そうしたら人間は「平等」だから、そこから生まれる「好き」はとても純粋なものだろう。

 アナログハックされて「好き」になったわたしを馬鹿にするならば、人間なんてやめてAIにでもなれば。

 hIEが存在する以上、どんな形であれアナログハックされるわたしたちなのだから、彼女のような存在を受け入れられないなら人間なんてやめてしまえ。

 ぐるぐる渦巻く感情に支配されて、学校へなんかとても行く気にはなれない。

 

 わからない。

 アナログハックも、好きという感情も。

 携帯端末を放り出して布団をかぶってみても、そのモヤモヤは消えない。

 

 hIEって、人間ってなんだろう。

 

 「存在」としてではなく、こころの問題、というのが正しいのかわからないけれど。

 考えつかれたのか、いつの間にか眠ってしまった。

 夢のなかでも、リリーホワイトはわたしに優しく「微笑んで」いた。

 

 翌朝になってもメッセの返信はなく、既読を示すマークだけが画面に映し出されている。

 そのマークは、わたしの「こころ」が伝わっていないことを示しているように見えた。

このページに掲載されている作品は Analoghack Open Resources を使用しています。